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      金子雅和・ロングインタビュー 
      「映像は風景も人間も等しく、写っているもの全ての総体のエネルギーを伝える。」 
        『すみれ人形』で鮮烈なデビューを果たした金子雅和監督のロング・インタビューをおとどけします。 
       映画美学校の修了制作として作られ、2008年1月からアップリンクXで一般公開された『すみれ人形』は、その濃密で斬新な映像世界によって、インディーズ・ムービーの歴史に新たな1ページを標したといってよいでしょう。 
       イーター・ブックス『ムービー・パンクス』にも影響を受けたという金子監督ですが、その本に登場したパンクな魂を持った監督たちの血を受け継いだ新世代の旗手として、今後の活躍がおおいに期待されます。 
         
        (2008年1月31日、京橋・映画美学校で収録、聞き手:地引雄一) 
      
         
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              金子雅和(かねこ まさかず) 
                 
                1978年生まれ。19才頃から8ミリ・16ミリフィルムで映像作品を作り始める。のち、映画美学校フィクションコースに入学。古書店などで働きながら、同校高等科で瀬々敬久監督の指導を受ける。修了制作の『すみれ人形』が初の劇場公開作品となる。07年秋には渋谷イメージフォーラム・シネマテークにて初の映像個展が開催され、好評を得た。  
             
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      『すみれ人形』までの10年 
      ―― 先日のトークイベントでいろいろ制作にまつわる話を聞けましたけど、撮影の時はとんでもなく寒かったらしいですね。 
        金子 (笑)そんな話ばっかしでしたね、皆。生命の危機を感じたみたいな。 
      ―― 死ぬかと思ったとか。 
        金子 そんな現場でしたね。 
      ―― 見た目からすると、そんなにひどい事をする人には見えないんだけど(笑)。 
        金子 よく言われます(笑)。ちょうど二年前の今頃が最後の撮影で、それから編集とか音楽入れたりとか時間かかって。 
      ―― 公開までに二年かかってるんですね。 
        金子 編集を半年以上地道にやってたので、最終的な完成は…これ以上いじらない状態になったのは去年の一月くらいなんですよ。ちょうど一年後に公開されたくらいで。 
      ―― 基本的には卒業制作だったんですよね。 
        金子 そうですね、映画美学校の卒業制作ですね。 
      ―― 監督科みたいなものがあるんですか。 
        金子 ここはフィクション・コースとドキュメンタリー・コースはあるんですけど、細かいカメラマン・コースとかいったものはなくて。一応二年制で、初等科の一年目で、80人くらいいるんですけど全員脚本を書いて自分の企画をだして、その一年の終わりに4人監督が選ばれて撮るんですよ。僕はそこでは落ちてしまったんですけど…。 
        二年目は高等科で、さらにやりたいっていう人がもう一年来るんです。そこはある程度カメラマン志望の人とか少しずつ別れていくんですけど、最終的には30人くらいが企画を出して、その中から二人が選ばれて撮らせていただいたっていう。 
      ―― 撮影のスタッフは全部学生ですか。 
        金子 そうですね、基本的には仲間で。ただ衣装とか美術とかできる人はいないので、そういう人だけ外から来ていただいて、あとは全部学校の人が。 
      ―― 資金は学校が全部だすんですか。 
        金子 そうです。基本的には学校側から出てますね。 
      ―― それが一般公開されるっていうのは、今までもあったんですか。 
        金子 僕の二年前の時は、二本とも劇場公開されましたね。一本はアップリンクで、もう一本は夕張の映画祭で準グランプリを取ってポレポレ東中野で公開されました。 
        この3〜4年はビデオ撮りになったので長編が撮れるっていうか。その前まではフィルムしかやってなかったので、そうするとどうしても予算的に短編しかできないので、単独で劇場公開まではやってなかったんですけど。最近はみんな長編を撮るようになったので、三人くらい劇場公開してますね。 
      ―― ビデオ撮りのメリットっていうのは大きいんですね。 
        金子 そうですね。やっぱり予算が現場の方に回せるので、その分メリットはあると。 
      ―― 贅沢を言うと『すみれ人形』はフィルムで観たいというのはありますよね。せっかくあれだけ綺麗な映像なんで、しかも引いた緻密な絵が多いから、フィルムだったらもっと綺麗だろうなと思ったんですけど。 
        金子 そうですね。フィルムで撮れればそれは…。細部がもっと…。 
        僕はもともと映画学校に来る前から自主映画を長く、8ミリとか16ミリでやっていて。映画学校入ってからビデオ触りだしたくらいで、ずっとフィルムでやっていたんで、フィルムにはすごい愛着があって。画の作り方もフィルムですごい学んだというか。基本はフィルムの体質、というのがあるんですけど。 
      ―― 映画撮り始めたてからどれくらいたってるんですか。 
        金子 ちょうど10年前くらいから8ミリで…。そのころは物語っていうよりももっと映像作品みたいな感じで作っていて。『すみれ人形』のああいう風景とか場所で、物語がないみたいな感じですね。人間とか出てくるけれども、映像イメージというか、そういうものからやっていたんですけども。そこに物語をもっと入れていって、ちゃんと劇映画をやりたいなと思って映画美学校で勉強してという形です。 
      ―― その頃って人に見せる機会ってあったんですか。 
        金子 自主上映会みたいなのと、あとその頃「12の眼」っていう、テレビのディレクターをやってる方が若い人たちに発表するチャンスを与えたいみたいな形で、自主映画を作ってる人たちの作品を集めていろんなとこで上映するっていうイベントをやってて、それに参加して何回かやらせていただいてましたね。 
      ―― 最初にメールをもらったときに、『ムービーパンクス』を読んで佐藤寿保監督と松井良彦監督に影響を受けたって書いてあったけど…。 
        金子 そうです。実は図書館で借りて読みました(笑)。もともと塚本晋也さんとかも好きですし、すごい興味のある監督ばっかりだったので読んで…。佐藤寿保さんは名前をもちろん存じてたんですけども、作品はちゃんと観ていなくて、あれを読んですごい観たいなと思って。松井さんもそうです。それで見るようになって。 
      ―― 松井さんの『追悼のざわめき』もそれまで観ていなかったんですよね。 
        金子 そうですね。名前は知っていたんですけどね。実は『すみれ人形』を撮った後に、こないだのリマスター版で初めて観て、やっぱりすごいショックを受けて。ずっと観たいな観たいなって、何年も前から思ってたんですけど、それまで観る機会がなくて…。けっこう「松井さんのアレの影響だろ」ってずいぶん言われたんですけども(笑)。 
        佐藤寿保さんはシナリオやってる時にも作品観て影響受けたり…。佐藤さんのものは劇場では実はまだ観たことはないんですけど、レンタルのDVDやビデオになってるので、10本くらい観たんですけども…。『狂った舞踏会』という映画で手を切断するっていうのがあって…、ちょうどそういう本を書いていたら瀬々さんに「俺が助監督をやってるヤツでそういうのがある、すごい苦労をしたものだから観ろ」みたいに言われて観たんです。そういうところでなにがしかの影響は受けているのかなと。あれは面白かったですねぇ。 
      物語よりも映像が何かを伝える 
      ―― 金子さんが始めた頃って、インディーズ・ムービーってどういう状況だったんですか。 
        金子 10年位前が、ちょうどビデオとフィルムの転換期っていうか、8ミリが終わっていって、デジタルビデオが出たのが96年位で、それが普及しはじめて、そろそろDVにみんな変えようかっていう頃で。編集もパソコンでできるようになり始めていて。2000年くらいでガラリとほとんどDVの時代になったんですけども。撮りやすくはなったというか、お金もかからない。自主映画を作りやすい時代にはなったので、わりとその頃はインディーズ映画の熱っていうのはありましたね。これからはけっこうインディーズ映画が…っていう。 
      ただ、最終的にはそこから5〜6年たってみて、やっぱり70年代80年代にあったようなインディーズのパワーのようなものは、結局出てこなかったっていうか。インディーズで作ったものでそのまま勝負するっていうよりも、劇場で公開されている一般の映画の縮小版をインディーズで作って、それでいわゆるメジャーになるっていうか、そういうタイプの人が今はけっこう多いっていうか。だから僭越ですけど、あの頃の挑戦的なものっていうか、そういうものはあまりない感じはしますけども。 
      ―― 石井聰亙さん達の時代には8ミリが手ごろに手に入るようになって、それが武器になったということだけど、それが10年前にデジタルになって…。 
        金子 デジタルの場合だとフィルムに比べると画自体のパワーはだいぶ落ちるから、画で何かを感じさせるっていう感覚的なものよりも、内容とか被写体の強さっていうのがどうしても強くなってくるんですよね。だから流れとしては、今はインディーズ的に作られているもので面白いのはドキュメンタリーの方が多いというか。 
      ―― 確かにデジタルってどうしてもドキュメント的になっちゃう感じですね。フィルムだとそこにひとつの世界を作ることができるけど…。 
        金子 やっぱり構築していくっていうのがあるんですけど、ビデオだと構築するっていうよりは、あるものを記録する。それでその記録する対象が衝撃的であったり面白ければ面白いほど強いっていうか。だからほとんど話題になる作品はドキュメンタリーが増えている時代かなっていう感じです。 
        だから劇映画ですごい構築した世界っていうのは減っているし、劇映画でもわりと日常的なものっていうか、日常の生活の中の感覚とか感性とかそういうものの方が今はどちらかといえば流行しているのかなと。 
      ―― そんな中で、金子さんはフィルムにこだわっていたわけなんですね。 
        金子 そうですね。その頃はフィルムの質感というかそういうものにものすごい惹かれていて。物語映画は最初は興味がなかったというか。絵を描いたりもしてたので、ビジュアル的なものに興味があって。その中で絵よりも映像という時間感覚も入ってくるものに興味を持って。 
        だから今でも見せるために手段として物語というのを採用しているんですけども、究極的には物語で何かを伝えたいというよりも、映像で何かを感じてもらいたいという思いは強いんですけど。フィルムでやっていて、なおさらそういう気持ちが強くなったと思うんです。 
      ―― この前『すみれ人形』をスクリーンで観ていて、映画の真髄というのは、映像を積み重ねることによって見てる人間の心の中に何かを喚起するということなんじゃないかと、強く感じました。 
        金子 そうですね。一個一個の映像って、編集して繋がると見てる人はひとつの流れに思うけれど、実際は全部ばらばらに、…ばらばらの時間にばらばらの撮り方で撮られていて、それが連なることによってある種のひとつの力になるというか。それが観る人に突き刺さればそれが一番おもしろいんじゃないかと。 
      ―― 物語だけ伝えるんだったら小説でいいわけだから…。 
        金子 そうですよね。読み物で充分だし、読み物の方が自分のペースで見れるから。だから物語を伝えることにはそんなに意味はないんじゃないのかなっていうのは思っていて。そのへんはやっぱり、音楽とかと同じようなものとして映像があって、何かを伝えられればそれが一番面白いんじゃないかと思うんですけど。 
        
      
       
      
       
       
       
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