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松井良彦監督インタビュー

もう怖いものなしの「新人監督」

  今なお強烈な輝きを放ち続ける究極のカルト・ムービー『追悼のざわめき』の松井良彦監督が、22年ぶりとなる新作『どこへ行くの?』を発表した。

 『追悼のざわめき』と共通したディープな世界観と、どこか透明感ただよう明るさの同居したこの新作は、どのようにして生まれたのだろうか。

 22年の沈黙を経て新たなスタートを切った松井監督。『ムービー・パンクス』以来となるインタビューが実現した。
(2008年1月22日、@渋谷エースデュース・オフィース 聞き手:地引雄一)

 

 

松井良彦 プロフィール

1956年生まれ。75年、映画製作集団“狂映舎”の設立に参加。79年、『狂い咲きサンダ‐ロード』(80)をはじめ、石井聰亙監督作品のスタッフを務める。79年にホモセクシュアルの三角関係を描いた処女作『錆びた缶空』を完成させ、ぴあ誌主催のオフシアター・フィルム・フェスティヴァル(現PFF)に入賞。いわば“カルト・ムーヴィー”の草分け的存在となる。
 続く第二作『豚鶏心中』(81)は天井桟敷館で長期ロードショーを果たした。そして、脚本段階で「映画になったら事件だね」と故・寺山修司に言わしめた第三作『追悼のざわめき』(88)は、中野武蔵野ホール(2004年5月閉館)史上最も多くの観客を動員。当時、数ヶ国の映画祭に出品が決定していたにもかかわらず、そのすべてで上映禁止となるも、10年後の98年には、ドイツやデンマーク、ノルウェイの7都市で上映をされ好評を博す。
 同作は 07年9月、デジタルリマスター版として、シアターイメージフォーラムなどで公開された。

『追悼のざわめき』から22年後の挑戦


── まずは新作公開、おめでとうございます。すごくおもしろかったです。
松井 ありがとうございます。

──へんな言い方だけど、普通に面白いというか、構えて観なくとも…。
松井 (笑)そうですか。それは良かった。今までの映画からくるイメージで、まぁ、どうしても、構えられるんですね(笑)。今までが今までだったから…、でも、僕としては今までも普通で、普通に創っていたので、「楽しんでよ」ってと思うんですけど。(笑)

── どういう経緯で、この作品ができるまでに至ったんですか。
松井 『追悼のざわめき』が公開されてから、何本か企画もらったんですよ。でもそれが『追悼のざわめき』の延長線上にあったりしてね。その当時、僕はそれは、もうひとつの区切りがついてたんで、その時には東京の月島のお爺ちゃんとお婆ちゃんの、天気と近所の噂話しかしない、淡々とした話を撮ろうと、それで人の孤独感が描けたらなあ
と思ってたんですよ。

 ですから、もらう話とこっちから持ちかける話がかみ合わなかったというか、すれ違ってたんで。それでなんやかんやしてる間に20年ぐらいたって(笑)。ですから決してさぼってたわけじゃないですよ。(笑)

── 前に会った時も、何本か企画を用意してるという話で、某原作ものを映画化したいと言ってましたよね。
松井 そうです。あれも結局そういうことですよね。僕がやりたいことと先方のそれが、どうしても『追悼のざわめき』の延長線の話という、…なんですよ。

 ただ、20年撮ってなかった。その時にここ(エースデュース・エンタテインメント)の社長の小林洋一君が「『追悼のざわめき』のDVD出しませんか」と。「ただそれ、いい成績にするためにも、新作を撮ってくださいよ。撮りたいものを」と。

── DVDが先にあったんですね。
松井 そう。ただ、1000万円だと。でも、松井さんの好きな世界を撮ってくれ、と言われて。その「好きな世界を撮ってくれ」と言われたのがすごく嬉しくて。二ヶ月位で脚本を仕上げました。その時にニューハーフにちょっと興味を持っていたんで、ニューハーフを主題にしたラブストーリーを撮りたいなと。それくらいは漠然とあったので、それで一気に脚本に書いたんです。

── その時点では、お爺さんとお婆さんの企画とかは…。
松井 それは、1000万円では無理な企画だし、脚本をそれように直したくはなかったのでね。

── それはまだ…
松井 生きてます。いつか映画にしたいと思ってます。今回は1000万ですからね、創れないんですよ。無念ですが。

 で、今回、不安はでかかったですね。今まで独立プロだったでしょ。だから金がなくなったら自分で集めてきて、スタッフも集めて撮ればいい。それで自分が満足するまでできたんですけど、今回は初めから予算も日数も決められていて、納品日もほぼ決まっていたんですよ。その中でやるのは初めてだったんで、不安の方が大きかったですね。

 ただ、僕はロケハンが終わると、絵コンテ(カット割り)を全部描ける人間なんで、オープニングからエンディングまでクランクイン前に全部できてたんですよ。最低限、これを撮ったら編集できると。

── 映像が最初に頭の中でできてるわけですか。
松井 脚本を書くときには絵ができています。で、ロケハンをしますよね。そのロケハンが終わる頃には、さらにロケ場所を考慮して絵ができています。で、その絵コンテを叩き台にして、カメラマンと打ち合わせをして、カメラマンも「これは『追悼のざわめき』のやり方ですか」って聞くから、「そうだよ」と。彼も『追悼のざわめき』が好きだったようで、「そのスタイルでいってください」と。

それでやりました。ただ絵コンテにあるもののうち、ワンシーンとスリーカットを撮りこぼしました。それでプロデューサーに謝りましたよ。「撮りこぼしたよ。ごめんなさい」って。

そしたらその人は、「こういう現場で場数を踏んでる人でも、もう少し多く撮りこぼしますよ。だからワンシーンとスリーカットだけしか撮りこぼしてないっていうのは良いですよ」って言われて。それで撮影も編集も仕上げすべて、予定日数内に終わって。

── じゃあ、無駄な撮りとか無駄なカットってぜんぜん…
松井 ない。ほとんどないです。ただあんずさんが素人なんで、ニューハーフの子がね。だからどうしても絵にならない部分がでてきてね。リテイクはできないしね。ですからカットして摘まみましたけど、それ以外にはそんなに無駄な尺は回してないです。

── 人の金だとどんどん使っちゃって、足らなくなるって話もあるけど。
松井 いやあ、人の金だとね、気になりますよ。できるだけ抑えたいと。特に話をくれた小林君自体が『追悼のざわめき』を毎年京都で上映してくれてたんですよ。映画館の支配人だったんですよ。その20年の間に彼、出世しまして、この会社を持つようになって。

── じゃあ、余計無駄使いはできませんね。
松井 無駄なお金って、使いたくないんですね。無駄な時間も。無駄なお金を使うんだったら、お弁当を食べたあとにデザートをつけるとか、そっちの方に使いたいんですね。

── 弁当代なんかも含まれてるわけですよね、その1000万円の中に。
松井 もちろん、含まれています。でも節約することでね、「杏仁豆腐が増えた。おー!」(笑)「ビール一本配ってくれた、オー!」ってなるじゃないですか。そっちの方がいいと思ってね。

でもね、予算表っていうものを僕はもっと勉強すべきでしたね。そうしたらもっと余分なお金を省けたなと。

 


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