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金子雅和・ロングインタビュー

映像イメージによる救い

金子 最近思っているのは…、『すみれ人形』は究極的に最後まで破滅していく話というか、人間のエゴが爆発していってグチャグチャになって、最終的には「手」で終わるっていうか、人間自体がただの物質になってしまって終わるっていうか、そういう話にはなっているんですけれど…。

あれはそうやって突き放して終わるんですけれども、…所詮人間なんてただのモノなのだよって言いたいわけではなくて、そういうふうに人間に対して斜めに見ているわけでは全然なくて。エゴとかそういう人間の中の闇の汚い部分に対しての救いというか…、それを言葉ではなくて、映像表現によって何かが伝わることによって、観ている人の中で何か動くものがあるっていうことができないかなって、最近ちょっと思っていて。

やっぱり映画って、話がこうなってこうして解決してっていうことではなくて、映像的な快楽っていうか、弾けるものというか、映画でしかでき得ないもがあるじゃないですか。僕が今言ったような人間と人間以外のモノが同等でしかなくて、それがある種の体験として感動に繋がるっていうか、そういうことは映画が一番できるジャンルだと思うし。文学とかではけっこう難しい。音楽でもなかなかむずかしいかも知れないですけど。そこが、僕が映画っていうものをジャンルの中で選択している所以なんですけれども。

私的な話になってしまうんですけれども、自分の祖母が11月に亡くなったんです。心臓が悪かったので、お風呂に入ってる時に心臓麻痺になって亡くなってしまって。叔父がいっしょに住んでいて、叔父が見つけた時には水の中に沈んでいたという…。もう90近かったのでしょうがないんですけれども。それで、水の中に沈んで亡くなったっていうイメージ…、それは話で聞いただけですけども、イメージとしてすごいあって。その翌々日くらいに実際お葬式があって、それで火葬されて、まさに骨になってしまうっていうか。
僕は子供の頃から仲が良かったので非常に悲しくもあったんですけれども、水の中に沈んでいって、そして火になって骨になるっていうことに、それがなにか自分にとっては救いを感じたんですよね。どういう風に言ったらいいか難しいんですけど…。イメージとして、そこにすごい救いを感じたっていうか。死んでしまったことがそこまで残酷なことには思えなかったっていうか。
そういう意味での何か見手に対しての救いというか、見て何か感じるっていうか、そういうものが映画でできないかなってその時すごい思って。

死んだ話ばっかりになっちゃいますけど、ちょうど『すみれ人形』の撮影の最終日のときに、実家に犬がいて子供のときから仲が良かったんですけど、その犬も最終日の翌日に死んじゃったんです。その時も雪がすごい降って、その雪の中で死んだっていうか、そういうイメージ…。そのイメージが自分の中では救いになっているっていうか、ただ悲しいというのとは違うというか。そういうことが映画の中で何かできたらおもしろいかなと、最近ちょっと思ってるんですけれど。

『すみれ人形』はどうしても悲劇がひたすら起こって、それで終わってしまったっていうか。そこからもう一歩いけなかったっていう残念さがあって。自分の中でまだそれをどういうふうにもっていくかという整理ができていなかったというか。そこまでの視点がなくて、そこが何かできないかなって思っているんですけれど。

体で感じるリアルな空気を撮る

―― 今回、役者さんもよかったですね。
金子 ええ、キャスティングはだいぶがんばったというか(笑)。役者さんの存在感でリアリティをもっとあげようと思って。

―― キャスティングはみんな自分で決めたんですか。
金子 全員自分で決めました。何人かは自分で気にいってる人を連絡先調べて手紙書いてお願いしたりとか。ヒロインの女の子はなかなかぴったりする人がいなくてかなり苦労して、撮影が始まってから決まって。内容的にもかなり変わっているんで、けっこう難しかったんですよね(笑)。向こう側も嫌がる人もいるし。そういう点でだいぶ難航はしたんですよね。

―― ひどい眼にあわせられるし(笑)。
金子 (笑)実際の撮影でもひどい眼にあわせられたし。

―― その点はけっこう非情になれちゃうんですね。
金子 そうですね(笑)。わりと非情です。あんまり怒ったりしないし、普段とそんなに変わらないんですけど、ていねいに追い詰める感じというか(笑)。何回も何回もやらせますね。

―― 凍った水にも入れさせちゃうという。
金子 表情であったり佇まいっていうのは、こういう気持ちだからこうしてくれっていう演出ではなくて、やっぱり身体で感じているものから出てくるものっていうのが一番っていうか。これはこういう寒いシチュエーションでこういう気持ちなんですよっていうよりも、実際に寒い中に放り込んだほうが絶対に強いんですよね、その環境の中から人間が出すものっていうのは。それは映像を撮り始めた頃からずっと一貫して思っていて。そこは絶対そうしたいっていうのは毎回あって。

―― 映画に対する考え方そのものと繋がってるわけですね。
金子 そうです。だから例えば途中でストリップの裏部屋であの女の子とカーテン越しに会うところ、あれなんか学校のスタッフ達は、学校の教室で作り込みして撮ればいいじゃんっていうか、…照明も自由にコントロールできるので。ただそれは空気として絶対変わっちゃうと思うから、僕はそれはすごい嫌で。結局、今市の廃墟の一階のロビーみたいなところにセットを作って、発電機持ってってライティングして。夜中にやってたんで、もう気温がマイナスなんですよね(笑)。ほんとに役者さんは死にそうになってたらしいですけど。ガラスとか割れちゃってる場所で、ほとんど外にいるのと一緒のような状況でやってて。

―― 室内のシーンですらそうだったんだ。
金子 ストリップ劇場の中は実際の上野のストリップ劇場ですけども、ほとんどが外でやっているっていう。その時の緊張感というか、それはスタジオの中で作り込んだんじゃあ絶対にできないんじゃあないかっていう。だからさっき言った乱歩的な映画に対する違和感っていうのも、全部スタジオの中で作っている感じっていうのは違うっていうか。

―― それで『すみれ人形』はそこが自然に感じるわけなんでしょうね。
金子 舞台の演技っていうのは、気持ちを作ってシチュエーションを作ってそれを表現するっていう世界だと思うんですけれど、映画はやっぱり違うと思うんですよね。もちろん役者は気持ちの中で作ってくるんですけれども、それは写らないからやっぱり演出家の方でシチュエーションを用意しなければいけない。追い詰めなければいけないし。それに役者の気持ちが乗ったときに初めていい感じになるんじゃないかと思うんで。そこはやっぱり自分は大事にしているところなんですよね。

―― 音楽をキリヒトの竹下圏さんが担当しているけど、彼とはどういうつながりが。
金子 映画美学校の生徒にフランス人がいて、その彼がアンダーグラウンドな日本のミュージャンをたくさん知っていて。本編の編集が終わってから、音楽を付けてほしいから誰かいないかって聞いて、それで圏さん紹介してもらったんです。

―― ちょっと意外だったけど。キリヒトの音楽と全然違うし。
金子 全然対極にあるような感じでやっていただいて。

―― 映像とも合ってたしね。
金子 そうですね。あの音楽が入るとだいぶ映画がある意味見やすくなったかなっていうのはあるんですけど。

―― 綺麗なんだけど情緒に流れないというか。
金子 多分圏さんの音楽も、聞きやすさもあるけど、根本的な部分はパンクだから、単純に情緒に陥るっていう作り方はしてないですよね。たぶん一個一個の音に対してのこだわりが強い気がして、それがなにかしら映画のトーンに合ったのかなと思うんですけれど。

―― 音楽には興味は?
金子 すごく詳しいわけではないですけど、好きは好きです。歌モノとかはけっこう苦手で、あんまり聞かないんですけども。なるべく音っていうか、一個一個の音に解体されたものっていうか、そういうものの方が聞いていて心地いいですね。いわゆるちゃんとした曲っていうのがあんまり好きじゃない(笑)。なんか居心地が悪いんですよね、聞いていて。

―― 『すみれ人形』の次の計画は…。
金子 とりあえず短編を、三月に撮影に入ります。それは完全に自主映画なんですけど、25分くらいのやつ作って…。『すみれ人形』も二年くらいたってしまっているんで、今現在の自分の状態をちゃんと作りつつ、また長編の企画をいろんなところにアピールして、なるべく早めに撮れるようにしたいと思ってます。

 

すみれ人形
監督・脚本・編集:金子雅和
出演:小谷健仁、山田キヌヲ、松岡龍平、遠藤裕美、綾野剛、松蔭浩之、マメ山田
音楽:竹久圏/製作:映画美学校
カラー/スタンダード/DV作品/ステレオ/63分
●渋谷アップリンクXにてレイトショー公開(連日21時より)
http://www.uplink.co.jp/x/log/002413.php
各日ゲストとのトーク、イベント等あり。詳細は公式ホームページで。
◎公式ホームページ 
http://www.sumiredoll.com/



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