今年開店40周年を迎えた新宿ロフトの記念イベントの一環として『DRIVE to 2100 』が開催されます。
これはライブハウス・イベントの原型となった「DRIVE to 80s」、その流れを汲んで10年おきに開催された「DRIVE to 2000」「DRIVE to 2010」と続くDRIVE toシリーズの番外編。ロフトと共に歴史を重ねたイベントがさらに未来に向かいます。
2002年に大阪で結成 。ONI / オニ(Vo, G)とPIKA / ピカ(Vo, Dr)の2人からなるギターロックバンド。原始的なサウンドを取り入れた音楽性と衝撃的なパフォーマンスが国内外で話題に。2003年に1stアルバム「A」、2005年にKi/oon Recordsからアルバム「URUSA IN JAPAN」をリリース。2010年に解散を発表。2011年には解散ライブを収録したCD+DVD「NEVER ENDING AFRIRAMPO」をリリース。
ソロでの活動での経験を糧に、今年2016年、解散から6年を経て再結成。ライブを重ねるごとにパワーアップを続け、音楽的な進化を遂げた圧倒的なパフォーマンスを展開している。
遠藤ミチロウ(Vo/ex.THE STALIN)
ナポレオン山岸(Gt/ex.ザ・ファントムギフト)
西村雄介(Ba/ex.STALIN,MOST)
関根真理(Dr/渋さ知らズ)
2015年、遠藤ミチロウが自身最後のバンドとして結成。同年、ミチロウの音楽的原体験の一つでもあるドアーズの楽曲を、この21世紀に蘇らせることを試みたミニアルバム『0』を発表。自身の終着点を見据えながらもアグレッシブに原点回帰してみせたミチロウが提示するのは、かつて通過したフォーク、パンク、ニューウェーブ、それら全てを内包した、現代のサイケデリック・ミュージック。
ライブではドアーズに加え、スターリン時代も含むオリジナル曲を演奏。
ピアノと歌だけで様々な音楽ジャンルを内包した表現をする異色のシンガーソングライター。
全国各地を渡り歩き、年間100本を超えるライブを行うかたわら、映画、CM等への楽曲提供も数多くしている。
2004年 カンヌ国際映画祭受賞作品「誰も知らない」(是枝裕和監督)に楽曲「宝石」を提供し注目を集める。
同年ファーストアルバム「そら」でデビュー。以降、全国各地で精力的にライブを行う。
日本国内にとどまらず海外でのライブ活動も積極的に行っており、これまでに、カンボジア、台湾、フランスでライブを行っている。
東日本大震災以降、人の繋がりの大切さを再確認し、自身も企画、運営に携わっている沖縄の街フェス「ASYLUM(アサイラム)」を福島県で開催することを決意。2012年3月10日、11日に福島県で「ASYLUM2012 in Fukushima」を開催。タテタカコの呼びかけで多くの人気アーティストが参加し大盛況の結果となった。以降、「ASYLUM2012 in Fukushima」は毎年3月10日、11日に福島県で開催されている。
2016年7月。NewAlbum「業」をリリース。
国立音楽大学音楽教育学科卒。長野県飯田市出身・在住。
福島県いわき市を拠点とするミーワムーラは大工の師弟コンビとして知られるが、その音楽性の高さによって多くのミュージシャンから高い支持を得ている。今年の夏にはフジロックにも出演、11月には初のフルアルバム『小さな歩み』をリリース、福島から全国へ向けてその清冽な音楽を発している。
菅原ミワ Miwa Sugawara(Vo.Gt)
村重光敏 Mitsutoshi Murashige(Gt.Cho)
菅原ミワ(うた,ギター)と、村重光敏(ギター,うた)の福島県いわき市出身,在住デュオ。
2006年,ミワがボーカルとして参加していたバンドに村重がギターで加わる。2009年,脱退。2010年からmiwamuraを名乗り二人で活動を始め、自主制作ライブ音源盤「umibe no asia to」を発表する。2011年,ミーワムーラに改名し活動が加速していく。2013年,club SONIC iwakiのDynarecレーベルより「ここにいる ここにある」を発表。2015年,ミーワムーラたこのまくらレーベルより「道」を発表する。2016年,『橋の下世界音楽祭』,『FUJI ROCK FESTIVAL』に出演し、11月中旬,音宿ごりら屋よりフルアルバム「小さな歩み」の発表を予定している。
B-stage :
《ライブ・ペイント》 HAMADARAKA
《LIVE》MARUOSA
《DJ》DJ 37A
《作品展示/プロデュース》 河村康輔
有園絵瑠 / 有園絵夢
双子。絵描き。
夢、温度、湿度、記憶に残った図像、言葉の響き、ノイズなど、身の回りに存在する存在をとらえ、「あり得ない生き物や時間が混合する事によって生み出される楽園」「この世とユートピアの間に存在する世界」をテーマに、様々なツールを使い表現する。現在までに国内での個展、グループ展、オランダ、NY、ベルリン、台北、フランス、ベルギー、ブラジルにてグループ展を行う。
雑誌, ファッション、映像、CDジャケットへのイラスト、ライブペインティングを中心に活動中。2013年、ERECT lab.よりHAMADARAKA作品集「YAUYAUPARAISO」を出版。
D.K.ZとしてPAINT&COLLAGEユニットの活動も行う。
エクストリームミュージシャンとして、世界三大メディアアートフェスの一つ”Sónar”(スペイン)、約28万人もの来場者を誇る欧州最大級フェスの1つ”Roskilde Festival”(デンマーク)、世界最大の音楽見本市”SXSW(アメリカ)”など、数々のフェスティバルに出演。
また、かた焼きそば研究家としてテレビ・ラジオ出演やコラム執筆などの活動も行っている。
今回はエクストリームの向こう側、その先に見出した"新生maruosa"ライブを初披露する。
96年 37A名義でレーベルロゴ(sonic plate)やCDジャケット
(不知火レーベル関連、DJ Q-Bart等)や雑誌等でグラフィティライターとして活動。
KUKNACKE、Hoi Voo Doo等とHCバンドTOXICOや、WOODMAN、山辺圭司等とBUKATSUに参加。
2004年EL POYO LOCOとしてRAWLIFE等のパーティでオリジナル缶バッジ販売。
2007年レコードレーベルPANTY設立。
2010年mixcdや雑貨を扱う Lingerie Box設立。
2011年よりKUKNACKEやnonSectRadicalsへのremix提供。
2012年BLACKSMOKER RECORDSより初のフィメールコンピレーション
「LA NINA」に参加しトラックメイクもスタート。
2013年Hellomac Unofficial Compilation 「hellomac exotica」に参加。
2014年Cristian Vogel「Fair Slices」へのremix提供。
発電ポールダンサー「メガネ」とのユニット「Minimal Contact」結成。
Johan-Ku 2014S/S,2015-16A/W 東京コレクションの選曲を担当。
2015年「伊藤桂司 × 小町渉」のコラボレーションカセット「ADULTS OVER 18 ONLY.」のremix。
3月よりRUMI、IROHAと奇数月のレギュラーパーティ「A.K.A.AKA 赫」を中野hevysickzeroで開始。
河村康輔作品集「MIX-UP」の特典用ソノシートへトラック提供。
快快、毛利悠子、河村康輔など音楽以外の共演も多く、
DJとして都内から全国に活動範囲を広げ巡業中。
またKIRIHITO、KING OF OPUS、TADZIO、などのバンドTシャツの
デザインや手描きの衣類やグッズも制作も。
1979 年広島県生。東京在住。コラージュ・アーティスト、グラフィック・デザイナー。
『ERECT Magazine』アートディレクター。
DRIVE 2010のロゴ、フライヤー、パンフレットなどのデザインを全て手がけた河村康輔が、大友克洋原画展のメイン・ヴィジュアル制作に抜擢されたのをきっかけに大ブレークを果たし、今ではコラージュ・アーチストとして国際的な活躍を見せている。今回のDRIVE to 2100でもロゴやフライヤーのデザインを担当、29日Bステージをプロデュースした。残念ながら本人の出演は急遽海外ロケのため実現できなくなったが、、新作を含む作品の展示を行う。
広池 敦(Vo、Stick)
藤田佐和子(Pf、Key)
松井亜由美(Vln)
三木黄太(Vc)
北島妙枝子(Bass、Vo)
長沼武司(Dr)
ゲスト:野澤美香(Pf)
【プロフィール】
ヴォーカル、作編曲の広池敦が1980年に結成。初期のパフォーマンス集団的な活動を経て、82年に1stアルバム「Katra Turana」をテレグラフ・レコードから発表する。
このアルバムは英RECOMMENDED RECORDSを通じて欧州でも発売。
大幅なメンバーチェンジの後、30cmシングル「The End ― 肌理の勾配」(85年スウィッチ・レーベル)と2ndアルバム「KIMERA」(86年テレグラフ・レコード)を発表。
ファーストアルバム当時は、女装して妖しく歌う広池敦がクローズアップされることが多く、“怪奇骨董退廃音楽箱”とか“異形のチェンバーロック”などと評されたが、徐々にミニマルでサイケなアバンポップを目指すようになり、ベースの北島妙枝子が加入するとその傾向が顕著になる。
いずれにせよニュー・ウェーブの席巻した80年代においては異端であった。
90年ごろ自然消滅的に活動休止となっていたが、2015年12月に吉祥寺スターパインズカフェで20数年ぶりとなる復活ライブが実現。活動後期の音楽性をさらに推し進めたその演奏は、広池敦の中性的な妖しいパフォーマンスとともに、満員の観客を魅了した。復活後2回目となる今回のライブでは、新曲も披露されるという。
1982年の結成以来、杉林恭雄を中心に独自の歌の世界を作り上げてきた「くじら」。それはパンク、ニューウェーブ、エレクトロニック・ノイズを経過したことによって始まった、長い旅路だった。
結成から31年を経た2013年、久々のスタジオ録音アルバムとなる『ふたりのラジオを鳴らそうよ』をテレグラフ・レコードから発表。この録音に参加したオリジナル・メンバーの楠均(Ds)、ヤプーズの中原信雄(Ba)、サウンドプロデュースも担当した近藤達郎(Ky)と杉林恭雄(Vo,Gr)の四人で、くじらの新たな旅が始まった。
80年代に発表したアルバムも次々と再発され、彼等の足跡を再評価する声も高い。
現在のライブはメンバーが多忙なこともあり、杉林恭雄のひとりくじら、杉林+中原のふたりくじらなど、時によって編成が変わるが、今回は杉林恭雄、中原信雄、楠均の「さんにんくじら」となる。
佐藤幸雄が「すきすきスウィッチ」として活動を始めたのが1979年。佐藤は「PUNGO」「くじら」の設立時のメンバーでもある。すきすきスウィッチはバンドの形態をめまぐるしく変えながら歌と演奏を続け、それらの記録は1983年にテレグラフレコードから出された20cmソノシート5枚組『忘れてもいいよ』に収められている。すきすきスウィッチの以降、個人名での活動、「絶望の友」としての活動を経たあと、九十年代初頭から二十年近く隠遁。
2011年秋より「公開練習」という形で問い直すうち、人が集いバンドに育ち、鈴木惣一朗、POP鈴木との3人ですきすきスウィッチとして、2013年初めてのスタジオ制作アルバム2枚『それでもはじめて』『ここにきてはじめて』、ライブ盤『縁盤』を作成。
2014年より佐藤幸雄のソロとともに、「二人会」を主催。それは佐藤ともう一人の歌い手がステージに同時に居て、一曲ずつ交互に歌うというもの。
バンドは藤木弘史(pf:やぎ、オレンジチューブetc)、POP鈴木(ds:前野健太、さかなetc)との3人編成。「佐藤幸雄とわたしたち」と名乗る。
佐藤幸雄は2016年10月、「基本毎日」同じ場所で同じ時間、歌い演奏する試みを行ったばかり。
歌が毎回立ち上がるために、それぞれがどういう速度と態度で場所に臨むか、どうしたらそこがもっとくっきりするのか。
いい歌作ってんだから普通に演奏すればいいだけなのに、つい、そこのところ、突き詰めている様子。
あらりらんぽのPIKAのソロユニットであるMoon♀Mama。あふりらんぽではエネルギーに溢れた奔放なドラム・プレイを展開するPIKAが、Moon♀Mamaではギターの弾き語りに挑戦、その歌の世界でもまた違った側面を見せている。
あふりらんぽの活動休止期には、チェロの坂本弘道とのデュオを基本に、ナスノミツル、山本達久を加えたMoon♀Mamaバンドとして活動。豪華なゲストを迎え、PIKAのソロとして発表したアルバム『龍の棲家』(2014/テレグラフレコード)は、PIKAのミュージシャンとしての魅力と可能性を十二分に伝えて高い評価を獲得、『インディズ・イシュー』の年間ベストアルバムに選ばれた。
再結成されたあふりらんぽでも、PIKAのソロでの経験がそのパフォーマンスをスケールアップししている。
Moon♀Mama PIKA (うた、ギター) + 坂本弘道(チェロ)
ノイズバンドの非常階段が初音ミクをフューチャーし、ノイズとボーカロイドの融合を果たしたのが「初音階段」である。
現在は初音ミク役としてコスプレイヤー&モデルの"るしゃ"が担当、キュートなヴィジュアルで人気を集めている。
JOJO広重:ギター
中屋浩市:エレクトロニクス
るしゃ:ボーカル
B-stage :
《DRIVE to TENTENKO》
テンテンコとその仲間達が繰り広げるイベント内イベント「DRIVE to TENTENKO」。
ゆるーいトークあり、ピッカピカのライブあり、ロフトが夢のミニ・ワンダーランドに。
テンテンコ/黄倉未来/ju sei/コルネリ/フロリダ/PIKA
1990年8月27日生まれ。北海道出身。身長142cm。
2013年BiSに加入し、2014年の解散とともにフリーランスとして活動を始める。
2016年にTOY'S FACTORY / MIYA TERRACEとマネージメント契約。
「90年代からの日本の"インディー霊"を全て背負っているといっても過言ではない、ヴァリエーションに富んだアヴァンギャルド表現者」と人は彼女を評し、オーバーグランドとアンダーグランドを自由に行き来し、コメンテーターからバラエティのひな壇、ポップスからインダストリアル、朝から真夜中まで型にはまらない聖域なき活動を行っている。
2016年8月にファーストデジタルシングル「放課後シンパシー」をリリース。
2016年12月にソロとしては初のMINI ALBUMをリリースする。
昼夜場所環境問わず活動する彼女の動きには今後も注目である。
HP : http://tentenko.com/
フロリダ
各ソロでも活動中のテンテンコと滝沢朋恵による音楽ユニット。
2004年春頃衝撃の出会いを果たし、2006年に結成。
おもちゃなどの小道具を使いカセットテープで音源作りを中心に活 動する。
その後はそれぞれ(テンテンコ:アイドルグループBiSにて/ 滝沢朋恵:ギター弾き語り等)の活動を経ながらも2014年に再結成。 都内を中心にライヴ活動中。
恒松正敏:Guitar,Vo.
荒木康弘:Drums,cho.(アレルギー、ex.P-MODELL)
飼沼丞二:Bass,cho.( ump-tmp 、ex.北澤組、ex.町田康+GLORY)
フリクションのギタリストとして1970年代末に、日本のパンク・ニューウェーブ・シーンを牽引した恒松正敏。フリクション脱退後は自らのリーダーバンド「E.D.P.S(エディプス)」を結成し、そのエッジの効いた骨太のギターサウンドによって、ジャンルを越えて幅広い支持を集めた。
E.D.P.S の後、画家としての活躍が目立つようになるが、1999年には恒松正敏&VISIONSでアルバム『1999 - LUNATIC ANIMAL』を発表。2000年代に入ると恒松正敏グループとして音楽活動を展開し、2007年には『欲望のオブジェ』をリリース、E.D.P.S時代を凌駕するような力のこもったサウンドで、ミュージシャンとしての充実振りを示している。
この秋、一時体調を崩して出演が危ぶまれたが、無事に復活ライブを迎えることができた。今回のライブには元ザ・ロッカーズのギタリストで、大江慎也とのUN、DUDE、PIRATE LOVEで活躍する鶴川仁美がゲストで参加、恒松正敏とのギターの共演を果たす。
1978年にパンクバンド Aunt Sallyで活動をスタート。バンド解散後はソロとして、国内外の数々のミュージシャンとコラボレーションを行う。現在は、2013年からはじめた電子音楽のソロユニットとパンクバンドMOSTを中心に活動している。2015年12月にソロ・アルバムを「ニューワールド」をリリース。
1982年にリリースされたNON BANDのアルバムは、80年代初期インディーズを代表する名盤として長く聴き続けられている。ボーカル、ベースのNONにバイオリン(山岸騏之介)、ドラム(玉垣満)という斬新な編成から繰り出されるサウンドは、始原的なエネルギーと都会的なモダニズムが渾然一体となり、今も新鮮さを失うことなく聴く者を魅了する。来春にはヨーロッパでの発売も決まった。
そのNON BANDがオリジナルメンバーによって活動を再開したのが2000年のこと、キキオンの佐々木絵実を加えて四人編成となりコンスタントにライブを続けている。NONが青森県弘前市在住のため都内でのライブは年に一、二度だが、衰えることのないパワーに歌の深みが加わり、新しい世代からの支持も広がっている。2012年には最新のライブ録音を収録したアルバム『NON BAND LIVEN’ 2009-2012』をテレグラフレコードからリリースしている。
NON BAND
NON(ノン) ボーカル、ベース
山岸騏之介 バイオリン、ギター
玉垣 満 ドラム
佐々木絵実 アコーディオン、コーラス
末井 昭
いよいよですね、と言われたとしても、ええ。いよいよなんですとこたえよう。ついには何がくるのかくるうのか。また、行くのか病むのか死ぬのかについて詳述こそ避けるが少なくとも本番まで余すところ、あと一週間を切った。まさか赤の他人に秒読みさせるわけにも行くまい。アインシュタインでもなんでもないアルバートのアイラーと三島由紀夫の遺骸が誰かしら名乗り出ぬ、けれども人ではあろうその体温通う手に抱えられ運び去られた日から数えて、ちょうどきっかり46年の齢を数え終えたことになる。他人(ヒト)ごとではない。独り言ともつかない。チックとタックが競って走り往くこのアナログ時計台を模した政(まつりごと)でもないわけだ。わらいごとちゃうわな、そらそら。にしたっていったい、これから師走は2日の夜までの「死の七日間」に果たしてどこまで可能であろうか。打楽器(佐藤薫)と声(山崎春美)を除けばユーモレスク電気ヴィオラ(後飯塚僚)があるばっかりな我らが(寒々しい?)編成(でも。極寒だからって迂闊に近寄ると火傷ならぬ凍傷になるヨ)に、エレキ(ギター)の出現までの長き史上最大でっかい音を出してきたアルト・サックスなる一本の管楽器とその演奏者。一人の傑物がいま厳かに加わる。
誰(た)れあろう、彼(か)の「ペーソス」を生前退位(10月23日)された記憶も生々しい…。 末井昭! その人である。「え? あの編集者の…?」と思わず問い返したのは主催の地引雄一であった。来る翌年(2017年)には、その人生が富永昌敬監督によって劇映画化される…、果たしてそれほどにも無謀な企てなのだろうか。思慮分別なき最悪の暴挙なのだろうか? じっさい厄介なことにはなるやもしれない。安全無事ではとても、到底いられないのか。
が、正直、本心内心打ち明けるというほどのことですらない、ただただひたすらに、それこそどうだっていい。まるでまるきり構やしない。もう痛快に「ウタ」えるか否か。それだけだ。ヒトの顔色を窺い推し量っては忖度頻り憶測逞しゅう御機嫌伺いに終始コレ務めては、覚え目出度き事のみを無上の悦びと任じ、挙げ句の成れの果てには幇間にさえ見放され……。かくも「世界」にゃ、もはやそんな価値ぜんぜんないし。
てなわけで、たとえ命のどんなにか崖っ淵に立たされようとも好き勝手にやります。
以上。月末月初の平日という無惨な日取りにもメゲず臆せず屈せず殊勝にも「DRIVE TO 2100」のfinal4日目のさらにまたトリではありますが、それこそこの世のお終いにしちまいますか、ねぇ。全宇宙の見おさめ聞きおさめ叫びおさめ笑いおさめ踊りおさめ狂いおさめ抱きおさめ死におさめ生まれおさめ産みおさめ、終わりオサメにしちまいましょ。以上。
文責は、LIVE当日壇上からコトバばっかり「うた」ってる筈の山崎春美。器楽演奏も含めると、今回は4人「TACO」でございます。
追伸。そんな末(昭)さんの名言。
『自殺について、いろんな事があるのでなにも言えないんですがただ、お金のことで自殺するのだけは、馬鹿馬鹿しいから止したほうがいい。お金はどうにでもなります』
けだし名言です。
ひもに巻かれていいようにされてしまうのはつまらないものね
B-stage :
《J-TOWN STYLE 2100》
80年代から息の長い活動を続けるストリート・エンターテインメントの王者、コンクリーツとその歴代メンバーの仲間達が大集結。コンクリーツ発祥の地J-TOWNの底抜けの熱気と楽しさが、Barステージに溢れる!!
コンクリーツ/バチバチソニック/タマテック/N13 他ゲスト多数
1978年、J-townの一軒家に集う雑多な職業の集団が居た。
身近な友人が当時、話題を集め始めたPUNK BANDに加入したと聴いた時に、コンクリーツが誕生した。
それは、そこに集う誰しもが「あいつにバンドマンがつとまるなら、オレにも出来る。」という、いわれなき自信であった。
ドラムスが下町の演芸ホールで、振り付けや演出をしていた、Tommy。
ベースは、小学生相手の学習塾を経営していた、Ryu the flash。
ギターは、ニューヨークでの寿司バー修行から帰国したてのJesus。
オルガンに川口の鋳物工場でマンドリンクラブを主催するNao-ken。
これで楽器の担当はすべて決まってしまったので、ヴォーカルを不動産ブローカーのShimが担当することになった。
全員シロウトゆえ、客分としてサンフランシスコから京都まわりで、墨絵の勉強に来ていたDennisがギターをひけるのを見込んでリードギタリストに任命した。
早速リハーサルに入ったが、ヘタクソで他人の曲のコピーができない。
メンドウだとばかりに、いきなり作詞作曲を始めると次から次へと曲が出来上がり、ワンステージやれそうな塩梅だった。
そうなると欲が出て、彩りがもっと必要と、コーラスガールを皆がアチコチでスカウトしまくり4人も集まったが、全員16~17才。
この時ロリータを従えた、不良中年バンドという構図が出来てしまった。
更に、近所の公園でサックスの練習をしていた土木作業員のMachoを加えて、オリジナルメンバーが顔をそろえた。
初舞台はShimが取引先の関係で持ってきた池袋の西武デパート屋上ステージ。
1980年の10月であった。以後、東京のニューウェーブ・シーンはいうに及ばず、北海道や名古屋・関西のシーンとも交流を深めつつ幅広く活動を続けている。
レコードは第1期コンクリーツ(Shimがヴォーカル)
1982年 コンパクト盤“SUPERMARKET LIFE”をリリース(J-TOWN RECORDS)
1983年 オムニバス盤“CASE OF TELEGRAPH”に参加(TELEGRAPH RECORD)
1984年 LP盤“J-TOWN STYLE”をリリース(CITYROCKER RECORD)
1986年にヴォーカリストのshim-con-kangが失踪
Nao-kenがVo.となり第2期コンクリーツ活動開始
1989年 LP盤“MISS FORTUNE”をリリース(J-TOWN RECORDS)
1990年 CDオムニバス盤“TELEGRAPH WORKS”に参加(TELEGRAPH RECORD)
七尾旅人 presents 百人組手番外篇 『Amazónes』
加藤玉沖(vocal drum-machine)と藤原義郎(guitar)にて「快感だけで作品を創れないか。」という考えの基にグループを結成。
キーボード奏者でもありメカニック担当の新メンバー、吉松武則を加えレコーディング、全6曲47分のCDタイトル“GROUP”を2000年3月、発売。
G.V. ナオケン、G.V. 青蛾堂キノスケ、Per. オカーモ サンタマリア ケイコ
OPEN 18:00 START 18:30 ADV\3500- DOOR \4000-
(Day2 11月30日のみOPEN 18:00 START 19:00)
七尾旅人、kan sano、山本達久、加藤雄一郎、ハラサオリ、 MCシラフ、やけのはら、国府達矢
★メインフロア《オンラインステージ光》では演奏中にAmazonから次々に届く未知の楽器、日用雑貨などを取り入れながら生え抜きのプレイヤー達による鬼気迫るセッション。そのサウンドに反応し、アマゾネスに扮したダンサー、ハラサオリがパフォーム。
★サブフロア《オフラインステージ巌》では伝説のシンガーソングライター国府達矢による初ワンマンライブ、3時間!
DRIVE to 2100の開催を祝して再結集!
電子が奏でる宇宙の調べ、コスミック・テクノポップ
PEVO1号(G) Y子(Vo) 伊藤英紀(B)