遠藤ミチロウ=ザ・スターリン解散後、アコースティクギターの弾き語りで新しい境地を開き、たった一人で全国ツアーを続ける遠藤ミチロウ。このインタビューではヒッピー時代の話から 、学生運動、東南アジア放浪、そしてザ・スターリンの時代と、その歩んできた道を語ってもらった。永遠の放浪者としてのミチロウの姿が浮かび上がる。

遠藤ミチロウ・インタビュー 「いつも『独り』っていうイメージが強かった」  一部抜粋  1997/8/6

 

──学生時代、大学でアングラ・フォークのイベントやってたっていう話を聞いたこ とあるけど。

遠藤
 うん。自分は歌う方よりもコンサート開いて、それで地元のアマチュアの奴とか 、あと友部(正人)さんとかエンケン(遠藤賢司)さんとかを東京から呼んでコンサートやってとかって、そういうイベンター的なことをやってた、学生時代は。

 あの頃ロック喫茶っていうのがワーッて全国にでき出して、東北には俺が山形でやってたジェスロタルってお店と、仙台に今でもあるピーターパンって、その2軒しかなかったの。

──えっ、店やってたの!

遠藤
 やってたよ、学生の時。経営者だもん。俺の店だもん。だからヒッピー連中がみ んな来るんだよね。旅をしながら。「泊めてくれぇ」とか言ってね。俺もその時ヒッピーだったから(笑)、自分が旅したかったから、嫌になって1年でやめちゃったけど。 21の時かな。それやりながらコンサートやったりとかしてた。今でもほら、地方に行くとよく、そういうお店をやって、たまにコンサートを主催するような人いるじゃないですか、マスターで。そういう人だったんだよ、俺、学生の時(笑)。

───じゃあ今全国まわっても、そういう人達の立場がよくわかるんだ。

遠藤
 わかるわかる、すっごいわかる。

───その後で日本を旅して回ってたんだ。

遠藤
 
いやその前からね、旅行好きだったから。大学の18の時に、夏休みにヒッチハイ ク始めてみたらおもしろくて(笑)。それで山形から九州までずーっと旅行したの、ヒッチハイクで野宿して。それで病みつきになって旅行してるうちに、ヒッピー関係の方にはまるようになってって、そのまま延長で、ずーっと。

───その頃って、やっぱりヒッピーのコミューンみたいなとこ廻ったりしてたんだ。

遠藤
 何ヶ所かはね。金沢にずーっといたりとか。金沢って日本のカリフォルニアみたいなとこだったんだよ、あそこは(笑)。すごかったんだから。

───コミューンとか行っても、完全には入りきれなかったって言ってたけど。

遠藤
 そうなんだよ。コミューンとかに入ってたんだけど、なんかね、どーもなじめな いんだよね。何がなじめないって言ったら、ファミリー感覚がダメだったんだよ。俺達ってニューファミリー世代っていわれるぐらいだったから、要するに、今までとは違う家族形態を作ろうっていうところで始まった世代なのね。

 ところが、俺は、新しかろうが古かろうが、家族っていう形態が嫌で、それがすごい 苦手だったから。「独り(ひとり)」っていうイメージが強かったのね。だから旅行するっていうのも、ひとりで放浪っていうイメージがすごい強かったから。

 そういうコミューンとかに行くと、新しい家族感覚を持った連中が集まって住んでいる、一つの大家族集団みたいな形になってたから。なんかねぇ、人間関係がすごいねちっこくて、やっぱ耐えられないんだよね、それがね。

 それでやっぱりそういうとこには居着けなくて。だんだん離れていっちゃったんだけどね。どっちかっていったら一回もう家族全部解体して、バラバラにしたかった方だったから。だってコミューンっていっても結局はね、昔の家族関係を引きずってんだよね 、ものすごく。旅してるのはいいんだけど、定住しちゃうとダメなんだよね。

───スターリンが裸になったりして一番過激だった当時って、その場の空気って異常 な世界を作ってたよねぇ。

遠藤
 作ってたねぇ。なんか。だって出る前の客の叫びが、「バカヤロー!出てこい! 殺すゾー」とか(笑)。ほんとに出てったら殺されるのかなみたいな(笑)。それは敵意じゃないんだよね。客の方が興奮して盛り上げてるだけで、そういう言葉でしか表現できなかったんだよね。

───最初は唖然としたけど。スターリンの音楽ってさ、普段は表に出ない潜在的な欲望とかエネルギーみたいなのを解放するんじゃないかな。

遠藤
 だからね、俺達が存在することによって、普通はいい子している奴が、実は根に 狂暴なものを持ってると、ついそれが出てしまうみたいな(笑)。そういう引き出す役目なんだよね。生贄なんだよ、要するに。俺達が生贄になることによって、客の持ってる潜在意識を引っぱり出すみたいな。

 だから最初のステージっていうのは、俺達客殴ってないんだもん。客に殴られてたんだもん。もう客にされるがままになってて。俺は歌ってるだけなんだけど、客がケリ入れたりとか、俺達に物ぶつけたりとか。きっかけは、最初に俺達が臓物投げたりして、 客のそういう潜在意識に火をつけるのね。その次に俺達がステージに飛び込んで歌うことによって、その引っぱり出された客の潜在意識が狂暴化してって、ワァーっとなっちゃって。俺達ボロボロになって帰っていくと、そういうライブだったね。

 それも20〜30人とかのうちは俺等も相手できるけど、百人超えてきたらもう体もたないから、やめようっていうことになって(笑)。俺ら出るだけで客が勝手にバァーッてなるから、もう俺達はただひたすら歌うだけになちゃったんだけどね。

───そういうので、恐怖感とかなかったの。客の方がどんどんエスカレートしてって 。

遠藤
 あったんだけど、でも楽しかったんだろうね。けっこう決死の覚悟だったんだけど。なんにもやってないのに、すごいもう、クスリやってカーッとなってる状態と変わらんかったもんね、自分の感覚が。出る前なんての、もうすっごい興奮しちゃって、自分で。行くぞ行くぞみたいになってて。なんか今考えると、なんっていう世界だったんだろうなぁと思うんだよね(笑)。今だったら怖くてできないなぁていう。

遠藤
 メジャーに取り込まれないで、インディーズで押し切っちゃった方がおもしろいなって気する。メジャーに頼らなきゃやってけないっていう状況にはまったら終わりだなっていうのあるのね。あとは中味の問題だよね。

遠藤
 たぶん、誤解されたままきてる部分っていっぱいあるんだろうね、俺ねぇ。

遠藤ミチロウインタビュー「イーター」5号より抜粋


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